歳神と正月
- 2019/08/15
- 08:23
一年を表す「トシ」という言葉には、「イネ」そのものの意味があります。たとえば、「年は栄えむ」は稲がよく実る意味で、「年得(としう)」というのも、稲(穀物)がよく実って豊作だという意味で用いられていました。この「トシ」の神が「歳神(としのかみ)」とか「歳徳神(としとくじん)」などと呼ばれる神で、もとは「歳月の神」というよりは、「稲の神」「豊作の神」いわゆる「穀霊(こくれい)」であったようです。
歳神(としのかみ)が山にいる期間は万物がひそかに忌み籠もる期間であり、生命の再生を待つ期間でであり、そこでこの期間を、古代人はフユ(冬)と呼んでいました。フユとは「御魂の殖ゆ(フユ)」であり、じっと辛抱して忌み籠もる間に、新たな生命が「殖ゆる(フユる)」期間を意味していました。そこで冬(フユ)には、死にかけた太陽を復活させるための、さまざまな太陽祭祀が行われました。鎮魂祭も、元来、この「御魂の殖ゆ(フユ)」の祭りであり、日神の御子である天皇の霊力の賦活(ふかつ)をはかる儀礼でありました。
こうして冬至をすぎると、太陽は復活します。山に帰っていた歳神(としのかみ)が里に降りてくる「春」が訪れます。この歳神(としのかみ)を迎え、また、同じく山に帰っていた祖霊を迎えて、新年の豊作を願い、祖霊祭りを行うのが、正月の様々な祭りでありました。まさしく「ハル」は「ハレ」であり、木の芽がいっせいに「張る(ハル)」季節であり、新たな生命が瑞々しく胎動しはじめる季節だったのです。やがて、農作業の始まる時期には、山から降ってきた歳神(としのかみ)に豊穣を祈る春祭「トシゴシの祭り」が行われました。(神道の本より要約抜粋)
※神社と神道について
正月になると、多くの方が神社に初詣に行きますが、神道の信者かというと、また別のようです。現在の日本人は、神道に信仰心を抱くというより文化的アイデンティティを感じる人が大部分だといえるようです。神社や神道は、日本人の感性の基礎をなし、年中行事や日常の慣習の元になっているようです(日本人の深層文化)。神社は神道の神を祀った建物ですが、正月はどの神社も初詣の参拝客で賑わいます。その他に、赤ちゃんが生まれたときお宮参りに行ったり、七五三を祝って参拝したり、祈願するためにお参りをしたりと、たとえ神道の信者ではなくても、神社は日本人にとって縁の深い場所のようです。神道は一方で、天皇制を宗教的に支えたものであり、今でも天皇家の宗教として古いしきたりを残し
歳神(としのかみ)が山にいる期間は万物がひそかに忌み籠もる期間であり、生命の再生を待つ期間でであり、そこでこの期間を、古代人はフユ(冬)と呼んでいました。フユとは「御魂の殖ゆ(フユ)」であり、じっと辛抱して忌み籠もる間に、新たな生命が「殖ゆる(フユる)」期間を意味していました。そこで冬(フユ)には、死にかけた太陽を復活させるための、さまざまな太陽祭祀が行われました。鎮魂祭も、元来、この「御魂の殖ゆ(フユ)」の祭りであり、日神の御子である天皇の霊力の賦活(ふかつ)をはかる儀礼でありました。
こうして冬至をすぎると、太陽は復活します。山に帰っていた歳神(としのかみ)が里に降りてくる「春」が訪れます。この歳神(としのかみ)を迎え、また、同じく山に帰っていた祖霊を迎えて、新年の豊作を願い、祖霊祭りを行うのが、正月の様々な祭りでありました。まさしく「ハル」は「ハレ」であり、木の芽がいっせいに「張る(ハル)」季節であり、新たな生命が瑞々しく胎動しはじめる季節だったのです。やがて、農作業の始まる時期には、山から降ってきた歳神(としのかみ)に豊穣を祈る春祭「トシゴシの祭り」が行われました。(神道の本より要約抜粋)
※神社と神道について
正月になると、多くの方が神社に初詣に行きますが、神道の信者かというと、また別のようです。現在の日本人は、神道に信仰心を抱くというより文化的アイデンティティを感じる人が大部分だといえるようです。神社や神道は、日本人の感性の基礎をなし、年中行事や日常の慣習の元になっているようです(日本人の深層文化)。神社は神道の神を祀った建物ですが、正月はどの神社も初詣の参拝客で賑わいます。その他に、赤ちゃんが生まれたときお宮参りに行ったり、七五三を祝って参拝したり、祈願するためにお参りをしたりと、たとえ神道の信者ではなくても、神社は日本人にとって縁の深い場所のようです。神道は一方で、天皇制を宗教的に支えたものであり、今でも天皇家の宗教として古いしきたりを残し